ぼくが廃人になるまで

文章を書く練習をするブログ

禁煙した話

 僕は去年まで、通算して10年間ほどタバコを吸っていました。やめようと思ったことは何度もありましたが、今まではせいぜい一月保ったか否かといった所でしょうか。現在は2018年9月1日から禁煙を始めて、7ヶ月目に突入ですね。

 タバコをやめようと思い立つ理由、色々ありますよね。お金がかかる、値上げのニュースを見て嫌になった、匂いが気になる、子供ができる等など、動機があると思います。

 では今回僕が禁煙、それも人生で一番長い成功期間を更新し続けているのにはどんな理由があったかと言いますと、実は何もなかったりします。もちろん匂いや出費、健康問題などそれなりにやめようとする要因は存在するのですが、決定的なきっかけは"なんとなく"でした。不思議ですよね。これまで何度も吸わないと強い覚悟を決めて、時にはまだタバコが入ったボックスを握りつぶして捨てたりしたものですが、どの決意もそう長くは続きませんでした。ところが、何の気なしにただ"やめよう"と思い、吸いたくなっても"もうちょっとだけ我慢しよう"と考えることを続けているうちに、タバコを吸いたい気持ちがどんどんなくなっていったのです。"もうちょっとだけ我慢しよう"この気持が個人的には一番禁煙に貢献してくれたと感じています。別に吸いたくなったらいつでも吸えばいいやと思いつつ、実際に吸いたくなったら、その時だけちょっと我慢すること。それを繰り返していく内に、ちょっとした我慢が重みをましていくんですね。決定的に吸いたくなっても、積み重ねてきた我慢を無駄にしたくない気持ちで忍耐を続けている内に、依存が抜けて楽になって言ったわけです。

 しかしタバコを我慢して何か良かったことがありましたかと聞かれると、これは答えに困ってしまいます。大してないんですね。浮いたお金は何故か貯まらないし、食欲が増えて太ったし、タバコ吸わなくても元から臭いし。その上まわりには未だ喫煙者が多く、みんなは美味しそうにタバコを吸っているものだから、勝手に我慢してるくせになんだかちょっと不公平を感じますね。

かきぞめ

 何もしていないときにあれこれアイデアがわいてくる人間がいざ書こうと思い立ったときほど、筆の進まないことはないと思うのです。

 これは持論ですが、同時に、衝動的にブログを作成したは良い物の、記事を投稿する段になって、はて何を書こうかと迷いしばし手を止めてしまった自分への言い訳でもあります。ブログというのはやはり、日記という属性が色濃くあるわけですから、「これを文章にしよう」というアンテナを常に張って置いて、できるだけ日々の生活からネタを拾う能力が必要になってくるわけです。そこへ行くと僕のように毎日ぼーっと生きている人間は、こうやって書けないことそのものをネタにするか、さもなきゃ作るだけ作って放置というのが関の山というわけですね。

 そうでなくても三日坊主には一家言ある僕ですから、いつ更新が止まるかわかった物ではありませんが、いつか書くのが面倒になり、iPadのホーム画面隅に鎮座するはてなのアイコンをちらと見たときしかブログの存在を思い出さなくなるまでは、恥も忘れて駄文を書き連ねてゆこうかと思います。

タバコに火をつけた。

星のよく見える寒空の下、私は白い息を吐いた。

あてのないツーリング。その終着点は今時珍しい、広々とした公園である。

遠くで響く車の走行音を除いて何も聞こえてこない。まるで人間以外は世界がまるごと眠っているようだった。

再びタバコをくわえ、口の中に煙を流し込み、冷たい空気とともに吸い込む。また白い息を吐く。

心の端に残り続けている蓄積した悪い感情が、煙に乗って宙に消えていったようだった。

ただ走ることに集中して、たどり着いた場所の景色を眺めて、僅かばかりの達成感と共にタバコを喫む。これをやれば1週間分のストレスくらいは吹き飛んでしまう。

 

さて、そろそろ帰ろうか。と、余韻と共にタバコを灰皿に押し込み、私は単車にまたがった。

ささやかな幸せを糧に、明日もまた生きるために立ち向かうのだ。